提案内容

「学生の手でもうひとつの大学を作るunUnversityの試み」
 
いよいよ新しい校舎CS-Plazaが完成します。そして大学にはもうひとつ新しい場所が出現します。みなさんが毎日食事するカフェテリア。新しい食堂がCS-Plazaにオープンすると、あの円形の建物は何もない大きな空間として残るのです。
その場所を、どう利用するか?私は、そこに学生が自分たちの手で「もうひとつの大学」を作り上げてほしいという、いささか無謀な構想を抱きました。
 あの広いスペースを拠点として、領域を越えた発表やシンポジウムを行う。制作やワークショップ、パフォーマンンスや音楽、ゲストを招いて自分たちの企画する授業を行う。学生が学生自身の手でそれらを企画し、運営する。そういうことは不可能だろうか?
学生の自主的な実験工房。それを仮にCS-Labと呼んでみたいと思います。2011年度のスタートへ向けて、私は学生のみなさんとCS-Labの構想を作り上げたい考えています。この構想に関心を抱いた人は集まってください。共に、刺激的な場所をつくり出すための話し合いを始めましょう。

-東京造形大学 学長 諏訪敦彦-

2010/12/13

ガンディーの経済学

CS-LABの試運用、良い感じですね!これからが楽しみです。

以下は松岡正剛氏のウェブサイト「千夜千冊」からジット・K・ダースグプタ著「ガンディーの経済学」に関する書評からの引用です。


 教育という英語は、語源的には「引き出す」(drawing out)という意味をもっている。インド語のひとつグジャラティ語の「ケラヴァーニ」もまったく同じ意味をもつらしい。
 ガンディーはこの話を引きながら、自分にとっての教育は「開くこと」であり、「そこに引きずり出すこと」であると言った。そのためには、「知性」と「身体」と「精神」とが同時に絡み合って引きずり出されるような教育が必要だと考えた。これはガンディーが生涯にわたって帰依したヒンドゥ教の教えとも合致していた。

 こうしてガンディーの「ナイー・タリム」(新しい教育)が構想されていったのだ。学校児童に向けてのプログラムだった。 
 その原則がきわめて明確だった。第1に、すべての児童教育は「母語」によること、第2に読み書きそろばんが職業性につながること、第3に教育システムが経済的に自立しうること。この3つを前提の方針にした。 
 もっと画期的なのは、そもそも子供のためのシラバス自体が手仕事的な仕掛けで説明されているべきだとしたところだ。ガンディーは自分でもワルダーで子供のための学校をつくっていたが、そこではまさに、糸紡ぎ、手織り、大工仕事、園芸、動物の世話が先頭を走り、それらによって自分たちがこれから学ぶことの“意味”を知り、そのうえで音楽、製図、算数、公民意識、歴史の勉強、地理の自覚、科学への冒険が始まるようになっていた。 
 なかでも、文字を習い始める時期を延期したことに、ガンディーの深い洞察があるように思われる。あまりに文字を最初に教えようとすると、子供たちの知的成長の自発性が損なわれるというのだ。ガンディーは自信をもってこう書いている、「文字は、子供が小麦と籾殻とを区別することをおぼえ、自分で味覚をいくぶん発達させてからのほうが、ずっとよく教えられるのです」。


千夜千冊  http://www.honza.jp/senya/1393

4 件のコメント:

  1. 興味深いですねー。以前シュタイナー学校に見学行ったことを思い出しました。
    自由学園を含め、手仕事を基盤とした詰め込みでなく
    じっくり引き出す教育についてCSラボでとりあげられてもいいのかもと思いました。
    この前のSoZo展のシンポジウムでも
    桑沢洋子とともに自由学園創立者の羽仁もと子が話題に
    なってましたし。

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  3. そうなのですか。
    シュタイナーも労作教育もバウハウスも20世紀の初頭のドイツ(ヴァイマール)の教育改革運動の中で出てきましたからね。
    初期のバウハウスで教鞭を執っていたクレーやカンディンスキーはシュタイナーの思想や黒板絵にかなり影響を受けていたりします。
    今、行われている試用は「制作」や「発表」が主ですが、その中から「学ぶ」ということが、どのように芽吹いてくるのか楽しみですね。
    CS-LABミーティングの中でも「学生の自習室的な働きをどのようにCS-LABに作っていけるのか?」という課題も出ているのですが、“自ら習う”とはどういうことなのか今一度考えてみたいと思います。

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  4. 実際「自ら習うのが上手な人」ならいますよね。
    ついでに、「自ら教える」ってどういうことなのかと
    ふと思いました。
    「おせっかい」ってことでなく、
    クレーのバウハウスでの講義やケーシー高峰の漫談を
    参考にしつつ。

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